藤井健仁 彫刻総覧 弐 彫刻鉄面皮 + NEW PERSONIFCATION

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藤井健仁の制作について

 
  鉄は最初に鋭利な凶器となることで争いを重大化させ、それに伴い現代にまで至る、権力、富、暴力による社会の長大な階層化をも後押ししました。それはイノセントな素材を人の悪意や欲望によって歪曲、加工したということではなく、鉄に出会い、導かれて人が自らの過剰な悪意を自覚した結果とも考えられます。
それならば、その最初の出会いに遡り素材を無垢な状態に還元しようとする試みは、鉄と人との永い因縁を念頭に置かねば非常に困難なものと成るでしょう。なぜなら、私たちはその因縁の上に生まれ、考え、生活しているのですから。
藤井健仁は「彫刻刑 鉄面皮」「NEW PERSONIFICATION」と云う二種の制作により、この鉄との因縁に関わろうとします。

「彫刻刑 鉄面皮」

「彫刻刑 鉄面皮」は、近現代という、鉄が生み出した状況によってアイデンティティーを獲得、或いは維持している人物達を「鉄」によって立ち現された「人間」であるとして、その容貌を一枚の鉄板の打ち出しによってトレースする作業です。実際に人物の風貌が形成されていく過程と同様に、内面や精神性によって形成される部分は 裏側(内側)から、外的要因及び社会性によって形成される部分は表側(外側)から叩いて造形し、内と外が拮抗する境目である顔の表面(一枚の鉄板)に個の存在を再現して行く事でその生の追体験を試み、対象存在への善悪を超えた肯定感さえ抱きつつ、逆に「鉄」にあたえられたアイデンティティーを相殺し、「等身大の生(の彫刻)」に還元しようとするものです。既成の、ありふれた顕彰銅像彫刻や風刺的な似顔絵といったジャンルと隣接するかのように見える物ですが、そうしたのを編集、流用することなくむしろその中心を、先入観を無化する程の凝視と描写、それに伴う強靱なディティールによって突破することで異化やアイロニーによるものとは全く異なる着地点に到ろうとします。
諦観せず、記号化されたかに見える著名人たちの中にもう一度、生身の人間を発見し、それを直角に凝視すること、これは昨今の意識のモザイク化、もしくはオーウェルが「1984」にて示した「ニュースピーク」的風潮に対しての藤井からのささやかな反撃であります。

「NEW PERSONIFICATION」

  そして藤井が鉄と関わってゆく中で見出した、もう一つの方法、それが「NEW PERSONIFICATION」です。
この制作は鉄と鉄の生み出した自我とを相殺させる「彫刻刑 鉄面皮」とは逆に、鉄から派生する言語イメージとは全く重ならない・・・むしろ背反するジャンルともいえる・・・「人形制作」と「鉄」との並置を試みています。
この制作に於いて藤井は人形作家として勤勉に労働し、人形を可憐に形成する事に専心するのですが、素材である鉄はその労働に応える事無く「鉄」は「鉄」のまま、もしくはその内容の可憐さに比例してより獰猛さを増し、素材と内容は最後まで融和する事なく奇怪な緊張感を保ったまま密度を増して行き、「矛盾の静物」として作品は完成します。
「鉄」のままでありながら「人形」でもある、こうした状態に止揚し続ける有様はあたかも「鉄そのものの擬人化」とさえ呼べる現象かもしれません。

この二つは方法はどちらかが主か従と云うことも無く、鉄を叩いて造形するという実作業自体はほとんど同様なものでありながらも、素材へのスタンスに於いてはかなり対極的であり、相互を補完しあう事はなくむしろ矛盾を曝し合う関係かもしれません。けれども現在、心と環境、つまり世界の内と外双方を後戻りできぬ程に変えてしまった「鉄」と差し向かう為に、藤井はこうした引き裂かれた状態となることも辞さずに制作を続けています。
それはある高みや別の場所を仮想することもなく、現実の事物と美術の境界点上で泥仕合を続行しようとする決意の顕れでもあります。

 

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