藤井健仁 彫刻総覧 弐 彫刻鉄面皮 + NEW PERSONIFCATION

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彫刻刑 鉄面皮について

藤井 健仁

何故、鉄で顔を作るのか

鉄という素材は、兵器や都市、モータリゼーションを加速度的に近代化させた事によって近現代世界の基底材となりました。近代化によって発生した巨大な権力、圧倒的な貧富の格差、そしてそこに生じる恐怖、憎悪、傲慢・・そうしたものは鉄から派生した物なのです。いいかえるならばそうした現代の鉄にまつわる事象は人類が鉄という素材から感じられたイマジネーションの発露でもあるのです。戦艦や剣、そして高層ビル等が「人間」によって立ち現された「鉄」であるならば、近現代という、鉄が生み出した状況によってアイデンティティーを獲得、或いは維持している人物達は「鉄」によって立ち現された「人間」であるといえます。ですから彼らの顔を彫刻する際に鉄を素材として制作するならば、他の素材(木、石、ブロンズ等)には及ぶべくもない親和性を発揮するのも自明であると考えます。

私の顔彫刻は一枚の鉄板をバーナーで熱しながらハンマーで叩いて造ります。ですから表面があるだけで中身は空洞です。顔彫刻を制作する際、鉄板の表と裏を叩いていくのですが、内面や精神性によって形成される部分は 裏側(内側)から、外的要因及び社会性によって形成 される部分は表側(外側)から叩いて造形します。丁度それは実際に人物の風貌が形成されていく様と同じであり、内と外が拮抗する境目である顔の表面こそ、個の存在の在処であるという事が制作手法にも反映されています。そしてその個人の存在そのものとも云える表面の起伏をトレースして行く事はその生の追体験でもあり、対象存在への善悪を超えた肯定感さえ芽生えて来ます。(ある種の愛情に近い感覚かもしれません)けれども彫刻がそのモデルの人物に「なった」か否かは、ある種の殺意に近い感情によって判断します。人物の頭部状の彫刻をハンマーで打ち据えてて行く中で、像がモデルとのシンクロ度が高まってゆき、一瞬、そのモデルの人物に対して害意を伴った暴力を振るっているかのような錯覚を得る事が出来、そこで作業を終えることが出来ます。この様な彫刻を造る為には殺人を可能にする量とほぼ同じ労働量を必要とするのかも知れません。「存在の肯定(愛情に近い)」や「殺すこと」、それらが「造ること」が同義語となった地点に立つ事によってはじめて像が完成できるのです。これらの顔彫刻は人間が直に接する間合い(親和的関係での間合い、もしくは直接害せる間合い)での気配を再現しようとします。そこには地位や権力等の属性が及ばない、全方向からあけすけに見渡し、眺めることの出来る「単なる個」、「等身大の生」しか存在しません。この制作は、彼らモデル達の姿を「鉄」を媒体として顕すことによって逆に「鉄」にあたえられたアイデンティティーを相殺し、「等身大の生」に還元しようとする行為であります。私に撲殺されるかのようにハンマーで叩かれて造形され、そして見おろされ、眺め回される位置に置かれる像とされること・・・これは私がモデル達に出来るささやかな「刑」でもあるのです。

本作、彫刻刑「鉄面皮」においては、個々に作られた頭部を「さらし首」状に配置しました。「さらし首」と、人物顕彰碑(いわゆる銅像)とは対称をなす物ですがそこに載せられる人物が時代や地域によって異なるだけであり、実際には同じ内実を持つ物と思います。この作品は世界中に存在する彫刻の大多数を占めているであろう、人物顕彰碑へのオマージュでもあるのです。

2003・6・14藤井健仁

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